シャネルの歴史[後半]

シャネルの歴史[後半]

ラグジュアリーなイメージのCHANELは、現代でも多くの女性が憧れるハイブランドです。現代でも多くのファンが多いのは、多くの製品を手掛けながら古い価値観に囚われない製品を開発しているからではないでしょうか。CHANELの創業者である「ガブリエル・シャネル(通称ココシャネル)」についてお話しをしていきましたが波乱万丈であった彼女のお話はまだまだお話したりません。ココシャネルの生涯についてお話しを続けていきたいと思います。

シャネルの歴史

シャネルの歴史

調香師「エルネスト・ボー」との出会い

カペルの道を手助けしてきたカペルが不慮の事故で亡くなってしまった悲しい事件から数年後1921年に香水の世界へとシャネルは少しづつ足を進めます。シャネルはファッションの一つである香水に目をつけると、今までにない独自の香りの調合に頭を悩ましていました。

シャネルはデザイナーとして帽子や服装などの作成に長けていましたが、香水の調合となると話は別です。この今までにない香水を作るために出会ったのが、フランスの調香師「エルネスト・ボー」でした。エルネスト・ボーとの共同開発により、シャネルの新しい香水を作り始めます。

このエルネストはシャネルの要望のもと、香りのサンプルを作り始めます。シャネルが考える今までにない香りを作るために最終的に提案されたサンプルの種類は実に80種類以上と、シャネルが香水に力をい入れていたことが分かります。

シャネルの顔とも言われる「No.5」

シャネルNo.5

いくつかのサンプルを生み出した結果、シャネルの顔とも言われる「No.5」という名の香水が誕生しました。この名前の由来は単純で、サンプル番号が5番だったからという、ちょっとお茶目な話が残っています。

香水の香りが決まった後、香水ボトルの作成に取り掛かります。今までのシャネルのデザインと同じくシンプルでかつ機能性に優れたものを考えました。そこでシャネルの頭に浮かんだのは、不慮の事故で亡くなってしまったカペルのことでした。

カペルが使用していたウイスキー・デカンタをもとに香水瓶を作成し、シンプルな香水瓶と今までにないモダンな香りの「No.5」が発売されました。

「No.5」のもう一つの話といえば、世界的にも有名な「マリリン・モンロー」も愛用していたという話ですね。20世紀、最も“セクシー”と言われた女性、マリリン・モンローがインタビュー時に記者から『ベッドでは何を着ていますか?パジャマ?ナイドガウン?』と聞かれた時「眠るときにはシャネル N°5を数滴」と答えたそうです。

記者たちはセクシーなマリリンに「ヌード」と答えて欲しかったそうですが、本人は“ヌード”とは言いたくなかった!でも本当にCHANELをつけています!と後のインタビューで話したそうです。

この話から日本に来日した際に、日本の記者も「CHANELのNo.5」と聞くために同じ質問をしたそうですが、その時に返ってきた答えは「私が寝る時につけるのは…ラジオだけよ」とここでも機転をきかせて答えたそうです。

有名なマリリンの答えに日本でも「No.5」が人気となり、多くの女性がこのCHANELの香水を求めたそうです。

リトルブラックドレスの発表

リトルブラックドレス

帽子屋から始まった「シャネル・モード」次々とファッション界に衝撃を与えてきたCHANEL。1921年に唯一無二の香りの香水を作るとさらに新作の作成に力を入れ始めます。シャネルは新作を出すのに当たって、ジャージードレスに目をつけました。

先もお話ししましたが、シャネルが生み出したジャージードレスは、窮屈なドレスが主流だった女性のファッションに衝撃を与えたものでした。窮屈なコルセットを払拭し女性の体にフィットするような動きやすいドレスをジャージー素材に変わったことにより、女性の社会進出の手助けとなったのです。

CHANELのブランドコンセプトは「女性の服の解放」「古い価値観にとらわれない自由で自立した女性像」。このコンセプトに合う女性服を作ることにシャネルは力を注ぎました。

そこで、シャネルが目をつけたのは、「黒」でした。しかし、この「黒」は海外でいうと「喪服」のイメージがあり、一般の服として使うには避けられていた色でした。日本でも黒は暗いイメージがある色です。葬儀の時に黒の喪服を着るのは明治時代の西洋文化の取り入れの際に入ってきた文化だったのです。

さて、その暗いイメージのある黒をシャネルはどうにか服装に取り入れられないかと考え始めました。シャネルにとって黒は喪服などの暗いイメージではなく、モードの最先端の色と考えていました。そしてついに1926年に、ココ・シャネルは「リトル・ブラック・ドレス(通称:LBD)」を発表しました。

この「リトル・ブラック・ドレス」は黒一色で装飾の少ないドレス(ワンピース)で、フォーマルからパーティー、ビジネス、お洒落着と使いまわしができるドレスでした。ファッション界では、この真っ黒なドレスに皆驚きましたが、その美しさに多くの女優やセレブリティが着用するようになりました。

ココ・シャネルの名言、“ファッションとは、上級者になるほど引き算である” とあるように、今までの時代のように派手なものをごちゃごちゃと身につけるよりも、装飾は少ないが女性の魅力を存分に引き出してくれる「リトル・ブラック・ドレス」を着こなすほうが最上級のファッションであると衝撃を与えたデザインだったのです。

CHANELの低迷期と再出発

CHANELの低迷期と再出発

ここまでCHANELは、ファッション界に多くの功績を残し順風満帆に進んで行きました。しかし、1939年に勃発した第二次世界大戦の影響でCHANELの未来は一気に暗雲に包まれてしまいます。第二次世界大戦の影響を受けたパリはドイツ軍の占領下に置かれた関係もあり、多くの産業や文化に大きな影響を及ぼしました。

CHANELのブティックもこの影響から、休業に追い込まれましたが営業再開の先行きは期待できないとされ、香水とアクセサリー店以外の店舗は閉店を余儀なくされました。

CHANEL史上初めての低迷期に入りますが、この頃ココ・シャネルは敵国であったドイツ軍の幹部と愛人関係であると噂が流れ、フランス国民から「裏切り者」としてのレッテルを貼られてしまいます。さらに、1944年にはこの裏切りをきっかけに逮捕されてしまいました。釈放された後のシャネルはフランスでのビジネスを一時休止し、数年間スイスに亡命することとなりました。

「シャネルスーツ」の発表

その後9年間CHANELは一旦、ファッションの表舞台から引くことになりましたが、1954年パリで再びブランドとしての店舗をオープンします。このオープンをきっかけにツイード素材の「シャネルスーツ」を発表しました。シャネルはこの9年間静かに、再出発の機会を伺っていたのです。

ツイードは元々男性の服にしか使われていなかった素材であり、このスーツは革命的なアイテムでした。現代でもこのツイード素材の「シャネルスーツ」はCHANELの人気アイテムでもあり、その人気は今も昔も変わりません。

さて、この「シャネルスーツ」ですが、金のボタンや独特のポケットの位置が特徴的であり、縫製技術など細部のこだわりが際立っていました。ビジネスからカジュアルまで幅広く着用できる事で、多くの女性たちから支持を受けました。

「2.55」バッグの発表

そのCHANELスーツを発表した一年後、1955年2月にココ・シャネルがデザインした「2.55」のバッグも発売を開始します。女性の社会への進出を目的にしたこのバッグは、この時代では異例の「ショルダーバッグ」だったのです。

「女性がショルダーバッグを持つのは下品」といったイメージを持っていましたが、このCHANELの「2.55」によってこれを覆すことになったのです。2.55は後に現在でも愛される「マトラッセ」の原型となっており、特徴的なキルティングデザインは現代まで受け継がれています。

この2つの商品の発表をきっかけに、CHANELはファッション界のトップブランドとしての地位を再び確立することになりました。

ココ・シャネル逝去。二度目の低迷期へ

シャネルマトラッセ

CHANELが再び、ファッション界のトップを確立してきた矢先、1971年、ココ・シャネルが87歳で逝去しました。これまで業界に数々の功績を残してきたココシャネルは、苦難に飲まれながらも20世紀のファッションイメージを大きく変えたデザイナーでした。

シンプルでありながら、実用的なデザインは女性の憧れでもあり、女性の社会進出までも手助けとなったのです。当時のCHANELのファンや業界の関係者にとって、彼女の死は衝撃的な事実でした。深い悲しみとともに彼女が残したファッションの素晴らしさを再認識するきっかけとなりました。

「私は流行を作ってるんじゃないの。私が流行なの」と言葉を残したココシャネル。彼女のデザイナーとしての実力は唯一無二だったのです。ココ・シャネルを亡くしたCHANELは、次の経営者としてジャック・ヴェルテメールという人物がトップに立ちます。

しかし、彼は経営としての経験が浅くCHANELは2度目の低迷期を迎えることになりました。ここから12年後にシャネルは「カール・ラガーフェルド」という人物を迎え入れます。彼の加入は、シャネルの分岐点でもありました。

彼はココ・シャネルのコンセプトを含めつつも、新しいデザインを作ることに長けていました。低迷期に入っていたシャネルを立て直すきっかけとなったのです。カール・ラガーフェルドはココシャネルがデザインした「2.55」に目をつけ、新たに「マトラッセ」を生み出しました。

この名前は特徴的なダイヤ型のふっくらとしたキルティングデザインから「ふくれ織=マトラッセ」という意味を持っています。マトラッセは発売後すぐにシャネルの人気商品となり、新たなファン層を獲得しました。12年の低迷期の経験をバネにCHANELは栄光を取り戻していきます。

まとめ

CHANELの歴史について2記事に亘ってお話しをしてきましたがいかがでしたか?現代でも愛されるCHANELは、ココシャネルの多くの経験と彼女の実力によって確立されてきたブランドでした。彼女は多くの功績を残し、現代でもトップデザイナーとして名が上がる程です。

多くの女性の憧れでもあるCHANELは、創業当時の裁縫技術を受け継ぎ一つ一つ丁寧に作られています。数百人に及ぶ職人はの技術は芸術とも言えるでしょう。技術に長けた職人によって作られたCHANELは、一見高級品に見えるかも知れませんが長期にわたって使用できるコストパフォーマンスの良いお品物です。

さらに、大量生産による安売り(アウトレット)をすることはなく、ブランドとしての価値が下がることはありません。このことから、中古市場ではCHANELの商品が人気です。近年では、アンティークブームもあり昔使用していたCHANELの人気が高くなってきています。

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