「カラトラバ」や「ノーチラス」などのモデルを展開してきたパテック フィリップ(PATEK PHILIPPE)。オーデマピゲ、ヴァシュロンコンスタンタンと並び、世界3大時計ブランドの1つに挙げられるスイスの老舗時計ブランドです。
美しいデザインと確かな技術で製造された腕時計は現代でも人気が高いですね。今回はそんなパテックフィリップの歩んできた歴史に付いてご紹介をしていきたいと思います。
目次
パテックフィリップの歴史
2人のポーランド人と天才時計師
パテックフィリップの始まりは、1839年スイスへ亡命してきた2人のポーランド人によって始まりました。この二人の名前は「アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック」と「フランソワ・チャペック」です。
当時はまだ腕時計が発明されていませんでしたので、主に懐中時計の販売と、またオーダーメイドでの時計製作を行なっていました。二人の名前から《パテック チャペック社》という社名で時計の会社を創業したのです。
二人は1844年のパリ産業博覧会で、パテックフィリップの歴史を変える事となるフランスの天才時計技術士の「ジャン・アドリアン・フィリップ」に出会います。
ジャン・アドリアン・フィリップはこのパリ産業博覧会で、鍵なし竜頭巻上げ・時刻合わせに対して銅メダルを授与されました。彼の技術に惚れ込んだ二人はパテック チャペック社に勧誘します。
その翌年、1845年にフィリップが入社し「パテック社」に社名を変更し「竜頭巻上げ・時刻合わせ式時計」の技術特許取得しました。
フィリップが入社したことで自社初の懐中ミニッツリピーターを開発し、この時計は国外の著名人の間で瞬く間に人気になったのです。
1849年にはアメリカ発祥のブランド”Tiffany & Co.(ティファニー)”に懐中時計供給も始めました。
チャペック社とパテック社
1845年はパテック社にとって良い事ばかりでしたが、フィリップが入社した数週間後に創業者であったチャペックが事業から離れることになりました。
チャペックはその後、ポーランドやフランスで時計の製造を開始し「チャペック社(Czapek & Cie)」を創業。20年ほど時計の製造を行なっていたそうですが、1869年頃に会社を清算しその後の消息は不明となりました。
そこから長い間音沙汰のなかった会社でしたが、2011年に新会社「Czapek & Cie(チャペック・アンド・シー)」が設立され話題となりました。
現在も時計の製造販売を行なっている会社ですので、是非興味のある方はご覧になってみて下さい。
さて、名が広まってきたパテック社は1851年に皆さんのよく知る「パテック フィリップ社」に社名を変更しました。
社名の変更後、同年に開催されたロンドン万国博覧会に持ち込んだ”世界初の鍵なし時計”が多くの人に賞賛され大きな話題を呼びました。
パテックフィリップ社の名はイギリスのヴィクトリア女王にまで届き、彼女はリューズ巻上げ・時刻合わせ式の18金ペンダントウォッチを購入したのです。
1868年にはパテックフィリップの時計の話題を聞いたハンガリーのコスコヴィッチ伯爵夫人が、パテックフィリップが初めて製作した腕時計を購入したとされています。
この時計は、スイスで初めて製作された腕時計で、ローズカットのダイヤモンドがセットされたカバーを開けると時計が姿を現すシークレット・ウォッチでした。
スイス初の腕時計を発表したパテックフィリップですが、1877年に創業者パテック死去します。これによって経営はジャン・フィリップになります。
パテックが亡くなった後もジャンフィリップの手腕によりパテックフィリップの業績は右肩上がりでしたが、1891年にジャン・フィリップが経営を息子のジョセフ・エミール・フィリップに譲る事になりました。
その3年後にパテックフィリップを支えてきた、ジャン・フィリップが死去しました。
この頃では、パテックフィリップの名は世界中に広まっていましたが1929年の世界大恐慌により多くの人が経済危機に陥りました。
世界大恐慌の影響はパテックフィリップも同様に受け、瞬く間に業績が悪化する事となってしまったのです。
これによって、文字盤製造業者のジャン・スターンとシャルル・スターン兄弟が会社を買収。現在の社名である「Patek Philippe S.A.」に変更する流れとなりました。
パテックフィリップの再出発
不変の名作カラトラバ
1932年スターン兄弟が会社を買収し、アドリアン・フィリップが経営から退くとジャン・フィスターが社長に就任しました。パテックフィリップの新たな出発で力を入れたのは「カラトラバ」の製造です。
(カラトラバの発売までの研究は、スターン兄弟が就任する以前に存在していたそうです。)
高級懐中時計を専門にしていたパテックフィリップは、腕時計に代わってゆく時代に乗り遅れてしまっていました。しかし、このカラトラバの開発は多くの人の心を掴み見事に経営悪化の現状から抜け出すことができたのです。
カラトラバの魅力は、シンプルで洗練されたデザインだけではありません。視認性の高い立体的な針は、懐中時計の時に使用していた針を再利用したのではなく、腕時計用に再設計されたものになります。
さらに、ケースからベルトへと流れるように配置された流線型のラグと、ケースのスリムな厚みによって使いやすいデザインになっています。
カラトラバの代表的なモデルには、1932年に発表された「Ref.96」が有名ですね。通称「クンロク」とも呼ばれるこのモデルは、現行モデルの中でもっとも古い歴史を持ちロングセラーのモデルになります。
多くの傑作
カラトラバを発表したパテックフィリップは、ここから多くの腕時計を発表することとなります。1976年ラグジュアリースポーツウォッチとして発売されたのが「ノーチラス」です。
世界で初めて実用化された潜水艦「ノーチラス号」の舷窓からインスピレーションを得たデザインになっています。
スイスの時計デザイナーであるジェラルド・ジェンタによってデザインされ、薄型ながら高い防水性能を備えた独特なデザインが特徴です。
ラテン語で「オウム貝」を意味し、堅牢な殻で深海の強大な水圧に耐える姿は防水の時計としてぴったりな名前とも言われております。
ケース左右に突き出させたフリンジを固くビスで留め、裏蓋と一体化したケースとベゼルを固定することで、高い防水性能を確立しています。
薄型ながら120mの防水性能を備えている「ノーチラス」は当時でも大きな話題を呼ぶ事となりました。
そして「ノーチラス」の発表の約10年後の1989年には、パテックフィリップ創業150年を記念した懐中時計を発表します。設立当時からの伝統技術である33複雑機能を持った、世界で最も複雑な懐中時計として知られている「キャリバー89」です。
開発には9年を要し、33種類もの複雑機構を搭載しています。このキャリバー89は世界で4個のみ製作されました。スイスのジュネーブにあるパテック フィリップ・ミュージアムにはイエローゴールド仕様のプロトタイプが展示されています。
世界最高の時計メーカー「パテックフィリップ」
厳しい品質管理
パテックフィリップは、世界3大時計ブランドの1つとしても数えられ人気の高いブランドです。時計の技術は勿論、パテックフィリップは顧客に「永久修理」を掲げています。
これは自社の時計であれば100年前のモデルだとしても必ず修理をすることを約束しています。
パテックフィリップは創業以来の顧客リストを管理しており、数百〜数千に及ぶ台帳に全て記録されています。
この顧客リストには、理論物理学者のアインシュタインやウォルト・ディズニーの名前や日本では徳川15代将軍・徳川慶喜、大正天皇、昭和天皇までもが名が連ねているそうです。
さらにパテックフィリッには、2009年より独自規格「パテックフィリップ・シール」をムーブメントに刻印しています。
この「パテックフィリップ・シール」が制定される前までは、スイスのジュネーブ市が定めた時計の品質基準を満たした時計に与えられる称号「ジュネーブ・シール」が使われていました。
ジュネーブ・シールは、時計業界で特別な称号として知られており、取得できるのはごく一部のブランドに限られています。
パテックフィリップ以外にも、ヴァシュロン・コンスタンタンやショパール、ロジェ・デュブイなどがジュネーブ・シールを取得しています。
「パテックフィリップ・シール」は同社の厳格な基準のもと、同社独自の品質規格をクリアしたものに刻印が施されます。これによって世界最高峰の腕時計メーカーとして現代でも最も人気の高い地位を確立しているのです。
まとめ
今回はパテックフィリップの歴史についてご紹介をさせていただきました。ブランド名は聞いた事のある方も多いかと思いますが、実際の歴史については初めて知ったことなどもありましたか?
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