イタリアを代表するブランド「プラダ(PRADA)」。イタリア王室の御用達としても人気の高いブランドです。デザインがおしゃれなだけではなく、実用的なプラダは年代問わずに愛用されています。バッグ以外にもサイフやパスケースなどの皮革商品をはじめ、服、宝飾品、時計、香水などを幅広く手がけています。今回は、そんな「プラダ(PRADA)」の長い歴史についてお話をしていきたいと思います。
目次
プラダの歴史
兄弟で始めた高級皮革店
プラダの歴史が始まったのは、1913年のイタリア”ミラノ”でした。現代でもプラダの本店はミラノの中心にあるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアにあります。
そこに、マリオ・プラダ(Mario Prada)とマルティーノ・プラダ(Martino Prada)の兄弟が、皮革製品店「フラテッリ・プラダ(Fratelli Prada)」を開業しました。
彼らは、ありきたりな革製品だけではお客様がついてこないと、世界中から珍しい素材や質の高い皮を集め、鞄、トランク、手袋などの日用的使う革製品を制作しました。
丁寧な作業と革の珍しさから、多くの人に話題となり、なんと開業から約7年後にはイタリア王室から御用達になるほどの知名度を獲得しました。こうして、プラダは、高級ブランドとしての地位を確立したのです。
時代の波に抗うプラダ
最高級の革を使用し、高い技術によって作られたプラダのアイテムは、イタリア王室の御用達として、上流階級の間で瞬く間に話題となりました。プラダは順調に事業を拡大し、ミラノの中心部から少し離れた「マンゾーニ通り」に2号店を開店しました。
しかし、残念なことにプラダは経営不振に追い込まれてしまいます。それは、第一次世界大戦と第二次世界大戦の影響でした。プラダの製品の多くは高級革を使用した物でしたが、この革製品は”禁輸措置”(特定の国との取引を禁じる事)になってしまった為、自由に使用することができなくなってしまいました。
これによって、予定していた3号店は開店中止に追い込まれ、開店したばかりの2号店は資金不足により閉店となり、追い討ちをかけるかのように本店には爆撃を受けるなどと、プラダにとっては戦争の影響は大きかったのです。
さらには、一緒にプラダを支えてきた弟のマルティーノ・プラダは政治的理由で兄マリオのもとを離れることになり、プラダの経営者はたった一人マリオだけとなってしまったのです。
戦争中にもマリオはプラダをどうにか続けようと努力をし、革製品が作れないならと「ナイロンやポリエステル」などの合成素材を使ったアイテムの作成へと変えていきました。これは現代のプラダにも引き継がれており、長い歴史のある技術だったのです。
第二次世界大戦後もたった一人でプラダを支えてきましたが、1958年に創業者であるマリオ・プラダが死去し、その後マリオの娘ルイーズがプラダを引き継ぐことになったのですが、ルイーズにとっては経営もデザイナーも初めての試みであった為、時代の流れについていけずプラダの人気は止まってしまうのでした。
プラダの再出発
互いを支え合った二人
戦後から長らく人気が衰えていたプラダですが、その人気を復活させたのは、創業者であるマリオの孫娘『ミウッチャ・プラダ』です。ミウッチャ・プラダは、オーナー兼デザイナーに就任すると、プラダの持っていた品質の高さと斬新なデザインによって、人気復活のきっかけとなりました。
その後、ミウッチャは、企業家の「パトリツィオ・ベルテッリ」と結婚し、経営面でも高評価を得ることに成功しました。
実は、「パトリツィオ・ベルテッリ」は企業家として有能な彼でしたが、隠れた裏の顔も持ち合わせていたのです。彼は、革製品の製造会社を所持しており、そこで秘密裏に「プラダの偽造品」を作成していたのです。プラダを知り尽くしていたパトリツィオは、知識を偽造品に注ぎ込み本物に近いプラダ製品を作ることに成功したのです。
ここまで聞くと裏切り者がプラダの経営に関わっていると感じますが、実は偽造品の販売もプラダを支える為に必要だったと言われています。必ずしも褒められた行為ではありませんが、これによって長年人気が止まっていたプラダの資金は底をついており、経営に必要な資金がなかったのです。
これによって、彼は経営と資金という大きな2つの柱を確かなものにしてプラダを支えることに成功しました。
新しいブランドの設立
プラダのセカンドラインと聞くと、多くの人が「そんなものあったかな?」と考えることが多いですが、プラダの創業者マリオプラダの孫娘のミウッチャプラダが設立したのが「MiuMiu(ミュウミュウ)」です。
セカンドラインと言うのは、高級ブランドとして手掛けるもので、【姉妹ブランド】とも呼ばれることがあります。高級ブランドは値段も高くなる傾向にありますが、セカンドラインとなると若者がターゲットとなることが多いそうです。
プラダもセカンドラインを立ち上げ、シックで大人っぽいデザインのプラダとは打って変わって、可愛らしさとガーリーな印象を与える「ミュウミュウ」は女性のブランドとしてぴったりでした。
もちろん、しっかりとしたブランドとして、クロコ調の素材を生かしたデザインや大人の落ち着いたデザインも展開しており幅広い女性が使えるブランドです。
ミュウミュウのカラーの特徴は、濃淡のピンクやホワイトなど若い女性がファッションに取り入れたい人気のカラーが揃っています。これも、シックなカラーが多いプラダとは打って変わった部分でもありますね。この、プラダとは大きな違いが話題を呼び、ミュウミュウも一流ブランドとして人気を獲得することとなったのです。
ちなみにMiu Miuは彼女の小さい時の呼び名で、それが由来となっているそうです。
工業素材をバッグに
ミウッチャ・プラダがプラダにもたらした功績は、セカンドラインの設立だけではありません。ミウッチャプラダが、デザインしたバッグの素材はなんと工業素材「ポコノ」です。
「ポコノ」とは元々、工業用に特化された素材で、テントやパラシュートといったミリタリー用品を作るために使われていました。軽く薄いのに傷や汚れに強い丈夫な素材で、さらに非常に軽量&撥水性も高い高機能素材です。
革製品でその名声を受けてきた「プラダ」でしたが、この「ポコノ」を採用したことによって様々な意見が出ました。一流ブランドとして工業素材を使用したアイテムは相応しいのか?素材に対する社内の猛反対や疑問視も多くありましたが、傷や汚れに強く軽量なバッグは合理的志向を持つ現代女性にぴったりだったのです。
半ば押し切るように発売した「ポコノ」は今までの伝統を大切にしてきたプラダの殻を破るのには十分すぎるきっかけとなったのです。
このポコノを使用したバッグはシンプルながら、流行によって左右されることがない事で話題を呼びました。「ポコノ」のナイロン素材は、シルクのような美しい光沢とシワが寄ることのない美しいデザイン。
さらに、目立つのは「PRADA」の逆三角のブランドマークのプレート。現在でも、プラダの様々なアイテムにデザインされています。シンプルながら、プラダの印象を与えることができるアイテムは大ヒットに繋がりました。
「ポコノ」に使用されているロゴプレートは、三角形を逆さまにした形で、「止まることのない」「常識を変えていく」というメッセージが込めれられています。
日本での人気
日本で初めてのオープン
様々なアイテムを発表し、人気を獲得してきた「プラダ」ですが、2003年3月29日に東京・銀座中央通りにプラダ銀座店をオープンしました。日本上陸のアナウンスが流れると同時に話題となった、1号店ですが多くの人で賑わったそうです。
日本人にもプラダのアイテムは、大変気に入られ特にナイロン生地の「ポコノ」は流行にもなる程でした。ブランド品は、高価なので傷をつけたり汚したくないという声が多かったのですが、プラダの「ポコノ」は傷にも汚れにも強かったので、受け入れる方が多かったそうです。
この人気を受けたプラダは、1号店の約3ヶ月後の6月7日に東京・南青山にスイスで有名な建築家によってデザインされた国内最大の旗艦店「エピセンター・ストア」をオープンしました。
その外観の美しさも相まって、通称を「ダイヤモンド」と呼ばれ、お店というよりは巨大なアート作品のような建物として有名です。ぜひお近くにお立ち寄りの際は見学してみてください。
映画によって人気急上昇
プラダの人気も国内で滞りなく広まってきた頃、プラダの人気が爆発的に上昇する出来事が起こりました。2006年に公開されたアメリカ映画「プラダを着た悪魔」の一大ブームです。
最悪の上司の下で前向きに頑張る主人公の姿に多く影響を受けた国内の女性は、プラダを知らなかった世代にも広く浸透することとなりました。
この映画には様々なブランドの衣装が出ており、衣装代の総額はなんと100万ドル(約1.2億円)超えだったそうです。もちろん題名である「プラダ」はもちろん姉妹ブランドである「ミュウミュウ」もしっかりと映画の衣装として使用されています。
物語の最も盛り上がるパリコレのパーティーシーンでは、ミランダ(最悪上司)がプラダのドレスを着用しており、こちらも大きな話題を呼びました。現代でも愛される「プラダを着た悪魔」をきっかけに、“ブランドデビューは、絶対にプラダ!”と目標にする女性も多いそうです。
まとめ
男性女性問わずに人気の高いプラダです。バッグや財布、時計やコスメなど多くのコレクションが展開されています。普段使いのしやすいプラダは、中古市場でも多く取引をされていますので、大幅な値下がりがしづらいブランドでもあるのです。
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