日本でも人気の高いルイヴィトン。海外でもその人気はトップクラスであり、様々なデザインで人々を魅了してきました。今回はルイヴィトンの歴史についてお話しをしていこうと思います。
目次
ルイヴィトンの歴史
16歳で家出した少年
ルイヴィトンの創設者である、「ルイ・ヴィトン」はスイスとの国境に近いフランスのジュラ地方アンシェイ村で生まれました。しかし、両親との不仲から16歳のルイ・ヴィトンは家出を決意しました。
金銭をほとんど持たずに向かったのは、芸術の都「パリ」です。なんとルイヴィトンの生まれたアンシェイからパリまで最短距離でも400kmを徒歩で移動したのです。ルイヴィトンの根気強さが垣間見れますね。パリに着いたルイヴィトンは、トランク製造職人「マレシャル氏」のもとで見習いをはじめました。
この一流職人と一緒にルイ・ヴィトンは才能を発揮しフランス皇室からの注文を受けるなどフランス随一の職人にまで上り詰めました。17年間働いた後、ルイヴィトンは33才で独立し、並の会社では店を出すことさえ出来ない高級ブティックが建ち並んでいた「パリ・カプシーヌ通り」に店を構えました。
独立後の自身のアトリエ
独立後のルイヴィトンは、まず長年見てきた旅行者のトランクに目をつけました。当時の旅行の移動手段は馬車です。しかし、荷物は馬車の後ろに積んでいますので雨が降った時は雨ざらしでした。そこで、雨が荷物に溜まらないように、丸みを帯びたトランクを作成し販売を開始しました。
しかし、このデザインは当時ではごくごく普通のデザインだったため、大ヒットするものではありませんでした。そんなルイヴィトンが次に目をつけたのは、交通機関の変化です。
馬車が移動手段の主流だった時代に、これからは船や機関車での移動が増えると考え、それまでの「蓋の丸いトランク」から「軽い防水加工を施した平らなトランク」を考え出しました。
このことによって、四角い平なトランクは汽車などの貨物室に積みやすいデザインになり、丸いトランクの需要が下がっていきました。そして、今までのトランクにはない、革より軽い無地のコットンを使用したことで、これがなんと当時のセレブに大ヒット。ルイヴィトンのトランクは「軽くて、丈夫」と噂に噂を呼び一躍評判になったのです。
日本の文化との出会い
少しづつルイヴィトンの名前が広まってきた頃、息子のジョルジュが経営に関わります。順風満帆に名前を広めていったルイヴィトンは、同業者から酷く反感を買うことになってしまいました。
この同業者はどうにか、ルイヴィトンのブランドの評価を落とそうと本物のルイヴィトンに似せた偽物を作ったのです。偽物は本物と違い酷い粗悪品であった為、ルイヴィトンだと思った顧客の評価を下げるには簡単でした。
模倣品に悩んだルイヴィトンとその息子ジョルジュは、新しいデザインを考え始めます。新作デザインに悩んだ二人はパリで行われた万国博覧会に足を運びます。
5万を超える企業が出展を行い、様々な技術や各国を紹介する展示を行いました。そこで最も注目を浴びたのが、実は日本館だったのです。島国の日本の文化がヨーロッパに伝わるのは噂だけだったため、実際に本物の日本文化に触れることができた貴重な経験だったのです。
そこでは日本独特の日本庭園や盆栽、版画そして陶磁器様々な物を展示しました。日本文化の美しさに、フランス人だけではなくヨーロッパの人々は、すっかり日本文化の虜になってしまったのです。
もちろんルイ・ヴィトン本人も息子のジョルジュ・ヴィトンも、この日本文化に心を奪われたのでした。
日本文化を新デザインへ
こうしてヨーロッパに広まった日本ブーム、いわゆる「ジャポニズム」。この万国博覧会後、2代目を継いだ、ジョルジュ・ヴィトンは、新しいデザインの作成に力を入れます。
偽物の流通に困ったジョルジュ・ヴィトンはルイヴィトンだけのデザインを作ろうと考え、そして出来上がったのが、今でもルイヴィトンの人気デザインの「ダミエ」です。
1885年ついに完成となりました。このダミエは日本古来の伝統的模様のひとつ「市松模様」からインスピレーションを受けた物でそれまでとは違った斬新なデザインが大ヒット。さらにルイヴィトンの名を広めるきっかけになったのです。
しかし、このダミエのデザインは大量生産を目的にして作られたものだったので、デザイン自体はシンプルでした。このシンプルなデザインはコピーするにも簡単だった為、またルイヴィトンはダミエデザインのコピー品に悩むことになりました。
この模範品問題が解決しないまま、1892年2月27日、ルイ・ヴィトンは自宅で息を引き取り、2代目を継いだ、ジョルジュ・ヴィトンが会社の全権を握ることになりました。
コピーができないデザインを
ダミエの大好評の裏で、コピー品に悩むジョルジュ・ヴィトンは再度、新しいデザインを考えます。簡単にコピーされず、尚且つ今までにないデザインとなると簡単なことではありません。
そこで、ダミエと同じく日本の文化に再度目をつけました。参考にしたのが、日本の家紋です。花や菱形を模した家紋は今までにないデザインだったため
すぐにジョルジュ・ヴィトンはデザインを描き始めました。
創業者のルイ・ヴィトンの頭文字「L」と「V」を掛け合わせたロゴ、日本の家紋を連想させる花や星を描き、模範すらもできない革新的なデザインを生み出しました。そして発表されたのが「モノグラム」です。
ルイヴィトンの技術の集大成ですので、巧みな技術を要するつくりでした。以降コピー品が市場に出回ることは激減し、革新的なデザインでパリ全域に渡り人気を博したのです。こうして、父ルイ・ヴィトンの望んだ模範品を産ませないデザインになったのです。
世界ブランドへの道
フランスから世界へ
2代目ジョルジュ・ヴィトンは、世界に通用するブランドに押し上げるためにアメリカへ渡航しました。ニューヨーク、シカゴ、と数々の街でルイヴィトンの商品を宣伝しました。
この結果多くの人にルイヴィトンの商品を知ってもらうきっかけになったのでした。着実に新作を発表し続け、ジョルジュは万国博覧会において議長になるほどの知名度を獲得しました。
次に、ジョルジュが考えた新作は自動車、飛行機と移動手段が変わっていく中で丈夫な鞄を作ることでした。今までの移動は馬車や汽車が主流でしたが、これからは車や飛行機などの移動が増えるであろうと考えました。
車の旅を快適にする防水防塵トランクや飛行船が海に落ちても沈まないトランクなどを実現し数々のグランプリを獲得しました。この海に落ちても沈まないトランクは一見必要な機能なのか?と考える事になりますが、このトランクが発表された数年後の、1912年4月14日の深夜。氷山に接触し沈没したあのタイタニック号で活躍することになったのでした。
ジョルジュの考えどおり、海に沈まないトランクは浮き輪のようにつかまることができ、命が助かった人もいたと言われています。さらに、防水加工もあり、引き上げられたトランクの中身は当時のままの姿で残っていたという逸話もあります。
ルイヴィトンの人気には日本にも
多くの国でルイヴィトンの人気は右肩上がりとなり、ブランド力だけではなく機能面も抜群の鞄の噂は、フランスから遠い日本にも伝わってきました。1978年ルイヴィトンはついに日本にも上陸します。日本で初めてのルイヴィトン店舗は東京と大阪でした。
同時に合計5店舗がオープン
- 東京には3店舗(日本橋高島屋、西武渋谷店、サンローゼ赤坂店)
- 大阪には2店舗(西武ピサ大阪ロイヤル店、アンロワイヤル阪急17番街店)
海外からやってきたブランドのバックなんて受け入れる人はいるのか?と不安な声もありましたが、実はこの年代はディスコブームでもあり、そのブランド力とパッと見てわかるデザインから多くの人がルイヴィトンに釘付けになりました。
こうして、初出店の半年後には大阪にもう1店舗構えるとその人気はどんどん上がり、1981年には日本初の直営店を銀座にオープンすることになりました。
ルイヴィトンの売上の半数は日本!
創業から160年経過した現在も変わらない人気を持ち続けているルイヴィトン。その売上は2023年時点で、約11兆1,850億円に達しています。ルイヴィトンは世界中に多くのファンを持つハイブランドとして知られていますが、中でも飛び抜けてルイ・ヴィトン愛好者が多い国と言われているのが日本です。
ルイヴィトンの発祥の地フランスの売上割合が22.9%に対し日本の売上割合は21.4%とほぼ同じ売上を記録しています。
その理由は数多くありますが一番の有力な説は、「長く使える鞄」だからではないでしょうか?ルイ・ヴィトンはいつまでも長く使えるようになっています。その為、お下がりでもらったという方も少なくありません。
ルイヴィトンには、塩化ビニル樹脂が使用されており、水分に強く高い耐久性があります。しっかりとメンテナンスをすれば、十数年はしっかりと使えるようになります。
確かに、ルイヴィトンの初期投資は高く感じるかと思いますが、数十年使える鞄というと中々ありませんので、コストパフォーマンスが高い鞄であることが分かります。
まとめ
さて、ここまでルイヴィトンの歴史や人気の理由をお話しさせて頂きましたが、ルイヴィトンのお話しはまだまだお話足りません。ルイヴィトンの素晴らしい利点はコストパフォーマンスが一番ですが、さらにもう一つあげるとすれば、リセール率が高い事があげられます。
ルイヴィトンは鞄だけではなく様々な商品展開をしています。いつの間にかルイヴィトン商品を多く所持していたという悩みは尽きぬものです。購入し何回か使ったものの自分には合わなかったな…と思う時もあるかもしれません。しかしここで箪笥の肥やしにしてしまうにはもったいない商品です。
ルイヴィトンはアウトレット(大量仕入れによる安売り)をすることはなく、ブランド価値をしっかりと守っています。その為、廃盤になってしまった鞄やコラボ新作などのルイヴィトン商品は価値が上がる傾向にあります。
数回しか使用していない新品同様のバックなどは購入額の8割前後でお取り引きされることが多いです。買取おりづるでは、新品のルイヴィトンバッグから大事に使っていたルイヴィトンのお財布など様々な商品を取り扱っております。
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