長い歴史を持ち、現代でもハイブランドとして多くの人に愛されているエルメスは、設立当初は馬具を扱っていたという話は驚かれる方も多いかと思います。 「美しい作品には機能が伴っていなければならない」このポリシーを掲げ設立から変わらない技術を持ったエルメスは、トップブランドの名に相応しいブランドです。今回はブランドエルメスに付いてお話しをしていきたいと思います。
目次
馬具店から生まれたエルメス
手伝いで磨いた技術
エルメスの創業者ティエリー・エルメスが生まれたのは1801年、ドイツの西部で宿屋を営む父・ティエリーと母・アグネスの第6子として生まれました。幼いティエリーは、宿屋と酒場にに乗りつけたお客の馬車の整備や馬の世話をしていたと言われています。
細かい作業が生まれつき得意だったティエリー・エルメスは特に、馬車に使われる馬具の整備が地元で評判でした。13歳でティエリー・エルメスはその技術をもっと磨くため、パリに出て馬具屋の見習い職人として技術を身につけました。
しかし、エルメスが生まれた当時は戦争中であった為、家族全員を戦争と病気により亡くしてしまうのです。これによってエルメスは20歳の若さで天涯孤独となってしまいました。孤児になったエルメスはフランスに移り暮らし、磨いてきた技術を生かす職を探しました。
1837年、36歳になったティエリー・エルメスは、革細工の才能を活かしパリ近郊に鞍と馬具を扱う小さな馬具工房を開きます。そして、少しずつその名を広めていくことになったのです。
パリで話題の馬具工房へ
エルメスは小さな頃から扱ってきた馬具に関わる仕事につきました。多くの技術を学んできたエルメスは、その技術を余すことなく馬具に注ぎ込みました。
小さな頃から宿に来る客人の馬具を見てきた為か、エルメスは「顧客が今何を望んでいるのか」を察知することに長けていました。その技術は国の上流階級にも伝わり顧客にはヨーロッパの王族や皇帝ナポレオン3世と皇后ウジェニーなどの大富豪が多かったそうです。
エルメスが作る馬具は控えめで洗練されていながら、どんな状況でも問題なく走行することができる頑丈さも持ち合わせていたのです。馬具の中でも需要の高い、わなやかご、馬車などを主軸に事業を展開し、エルメスの得意分野であったハンドメイドによる縫い目の頑丈さを強みとして多くの馬具を取り扱ったのです。
そんなエルメスが作る馬具は多くの人に支持され、馬具工房を開いた30年後の1867年にパリで開催された万国博覧会で受賞され、その名は国内だけではなく国外にも伝わることになりました。
有名になってからもエルメスは一つ一つ手作りすることを一切やめませんでした。大変な作業ですが手作りによる頑丈さ、馬を傷つけることのない優しい作りは多くの顧客を満足させる出来でした。
しかし、この後ティエリー・エルメスは77歳の若さで亡くなってしまいます。その後ティエリー・エルメスの息子のシャルル=エミールが2代目エルメスを引き継ぐことになりました。
エルメスの名を世界に
馬具専門からファッション業界へ
2代目を引き継いだシャルルは1880年に父ティエリー・エルメスが建てた馬具工房を移転し、そこに店舗を開くことにしました。工房だけではなく、高級馬具の直接販売も始めました。そのことによってエルメスの名前はヨーロッパ全土に広まります。
この移転先は、フランスのパリにあるフォーブル・サントノーレ通り24番地です。現代ではここがエルメス(HERMES)の本店になります。エミールはここでオーダーメイドの馬具と鞍を作るようになりました。
父ティエリー・エルメスの技術をしっかりと受け継いだ手作りの馬具は「馬も傷付けない優しいつくり」が施されていたため多くの顧客がエルメスの馬具を求めました。
店舗を移して10年ほど経った1892年、シャルルは馬具の鞍を入れるための鞄「オータクロア」を製作します。後にエルメス(HERMES)の原点になるこのバッグは縦長の長方形にデザインされており、多くの道具を入れることができるように設計されました。
現代の「バーキン」はこの「オータクロア」をベースに作られたものです。その為デザインが似ている部分もあり、よく「バーキン」「オータクロア」は間違われてしまうことが多いです。「ポストバーキン」とも呼ばれ、多くの人が利用しています。
ファッション業界への革命
馬具を専門としてきたエルメスは、シャルルの息子である「エミール・モーリス・エルメス」が3代目経営者となります。モーリスは、20世紀に入り馬車がもっと便利でコストのよい自動車に取って代わられることを予想しました。
馬具を専門としていたエルメスも馬車が不要になってしまっては経営していけません。そこで馬具だけではなく多くの製品を展開していこうと事業の多様化を決意します。
そこで、モーリスはカナダに赴いた際、アメリカ軍の軍用車に使用されていた「万能閉じ具」に目をつけます。現代では「ジップ・ファスナー」という名で広まっています。このファスナーを初めてフランスに輸入しようとしたのはモーリスでした。
1922年、このファスナーの特許を取得すると、世界初のファスナー付きのバックを作製しました。これはファッション業界も驚きの革命だったのです。これによってエルメスはさらにその名を広めていくことになりました。
その後、エミールは娘の婿に経営を任せることにし、1951年建築家であったロべ―ル・デュマ・エルメスが経営を引き継ぎました。
初のシルクスカーフ「カレ」
ファッション界に少づつ近づいてきたエルメスは、1937年エルメスの定番アイテムを発表します。現代でも人気の高いエルメスのスカーフ「カレ・エルメス」です。
エルメスの3代目を引き継いだロベール・デュマ・エルメスは、馬具だけではなく幅広い視点でエルメスの製品について考えました。そこで、1900年貴族の間で流行った「オムニバスと白い貴婦人のゲーム」からインスピレーションを受け、そのデザインをスカーフに落とし込みました。
中央には数人の貴族が楽しそうにボードゲームを嗜んでいます。その周りを回るように馬車がいくつも描かれ、まるで万華鏡のような美しさがあります。
「オムニバスと白い貴婦人のゲーム」にある白い貴婦人とはこのボードゲームを嗜んでいる女性ではなく、当時パリ市民の交通機関として使われていた、「乗り合い馬車」に付けられていた名前の別称でした。馬具を大切にしてきたエルメスだからこそ描くことができたデザインだったのです。
「カレ」はフランス語で正方形の意味を表します。その名の通りエルメスのカレは正方形でできており、サイズは90センチ四方で出来ております。これはカレが発表された時にに決められたサイズですので、エルメスのスカーフの多くは正方形です。
現在では、70㎝や41㎝四方のスカーフやネクタイのように着けられる細長いスカーフも展開されています。2003年に誕生したスリムタイプの「ツイリー」は歴史的に見るとまだまだ新しいタイプのスカーフですが、このスリムなスカーフをバーキンやケリーの取手にぐるぐると巻く「ツイリー巻き」は自分好みの鞄にアレンジできることで多くの人に使われています。
トップブランドへの道
エルメスの新しい顔 ケリー誕生
エルメスの新しいアイテムを展開したロベール・デュマは、さらにエルメスの名前を広げることになります。1930年「カレ・エルメス」よりも先に誕生していた「サック・ア・クロア」は特徴的な台形のフォルム、フラップ部分にハンドルがついたバッグです。
さらに肩掛けができるようにストラップもついていることで、手持ちにもショルダーにもなる鞄でした。
この「サック・ア・クロア」を愛用する女性がいました。当時のハリウッド女優であり、後にモナコ国王に嫁いだ「グレース・ケリー王妃」です。ケリーは王妃になったことから日々多くのパパラッチにカメラを向けられていました。
そして妊娠中のお腹をこのバッグで隠した写真が新聞に載り、多くの人がこの「サック・ア・クロア」に釘付けになったのです。このバッグは一体どこのブランドのものだ?と話題になる中、エルメスは1956年にモナコ王室から正式に許可を取り王妃の名前から「ケリー」と名づけ、ケリーは多くの女性の憧れのバッグになったのです。
不動の人気 バーキンの誕生
1978年エルメスは5代目に変わります。新しくエルメスの経営についたのは、「ジャンルイデュマ・エルメス」。なんと2006年まで活躍したエルメスのCEOです。彼はエルメスの職人見習いとしてスタートしバイヤー経験もある人でした。
ジャンルイデュマはまず、エルメスのブランドイメージを変えることに力を入れました。若い女性モデルを起用し、高級ブランドの敷居の高さを払拭。さらにスカーフの柄を多く増やすなど、誰でも手に取りたくなるような一流ブランドを目指しました。
さらに、今までのエルメスの伝統的な裁縫技術だけでなく、世界の優れた職人の技術を直に見ることで変化を起こしていきました。そして就任からわずか6年で、かの有名な「バーキン」を世界に堂々と発表しました。
2代目エルメスの経営者であったシャルル=エミールがデザインした「オータクロア」の特徴を抑えながら、新しく発表した「バーキン」は発表当時から驚くほどの人気が出ました。
実はこの「バーキン」の開発の裏には驚きの出会いがありました。
「バーキン」の名前の由来にもなった、イギリスの女優、ジェーン・バーキンはパリからロンドンへ向かう機内で、たまたま隣に座っていた男性と意気投合します。
そして、降機の際に自身のエルメスの手帳からメモ用紙などをばらまいてしまいました。話していた男性も一緒に散らばってしまったメモを拾うと、彼女は「バッグの中に仕切りやポケットもなくて、メモが挟みきれないの」と嘆きました。
すると、男性は「私のアトリエであなたが望むバッグを作りましょう」と話しました。この男性こそ、エルメス5代目社長であった「ジャンルイデュマ・エルメス」だったのです。
彼は早速アトリエに戻ると、ジェーン・バーキンの理想のバッグを作成します。たっぷり荷物が入るように大きめなデザインに、底が平らで安定感があり丈夫なものを。こうして、ジェーン・バーキンが望むバッグが出来上がりました。
現代でも多くの女性がこのバーキンを求めてエルメスに訪れます。しかし、エルメスは職人の手作りであり大量生産には至りません。その為、世界で最も入手困難なバッグがこの「バーキン」なのです。
まとめ
さて、ここまでエルメスの長い歴史についてお話しさせて頂きました。現代でもハイブランドのトップに輝くエルメスは多くの人々にとって憧れのブランドです。
馬具工房から始めたエルメスは、現代では多くのアイテムを発表しています。しかし、創業当時の手作りは変わることなく今でも多くの職人がエルメスの作成に関わっています。
人気の「バーキン」「ケリー」などは世界的に見ても入手困難です。人気とはいえ職人の手作りになりますと大量生産はできません。
その為、中古市場ではエルメスの商品が人気が高く、入手困難なアイテムになりますと購入時よりも高く取引されることもあります。昔購入したけど最近はめっきり使わなくなってしまったエルメス商品は、思い切って手放すのも一つの手かもしれません。
大切に使っていたエルメスを思い出と一緒にぜひ買取おりづるにお越しください。バッグやお財布だけでなく、香水や食器、洋服などのファッションアイテムも大歓迎です。もちろん相談だけでも構いませんのでお気軽にご来店して頂けたらと思います。
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