若い世代で人気急上昇中のブランド「DIOR(ディオール)」。可愛らしいデザインと流行に左右されない美しい造形。
バッグだけではなく、コスメや時計と様々なアイテムを展開している「DIOR」ですが、実はその歴史を詳しくは知らないという方も多いはず、今回は「DIOR」の歴史についてご紹介をしていきたいと思います。
目次
デザイナーとしての「クリスチャン・ディオール」
クリスチャン・ディオールのお気に入りのカラー
1905年、フランスの北に位置するノルマンディー地方に住んでいた「アレクサンドル・ルイ・モーリス・ディオール」と「マリー・マドレーヌ・ディオール」の夫婦の間に生まれたのが「クリスチャン・ディオール」です。
1832年に設立された肥料および化学薬品の製造事業により、一家は余裕のある暮らしを送っていました。
5人の兄弟の2番目に生まれた「クリスチャン・ディオール」は、ノルマンディー州グランヴィルにある「レ リュンブ」のヴィラ(一戸建てや独立した棟を客室として利用する宿泊施設)で幼少期を過ごしました。
柔らかなピンクとグレーで彩られたこのヴィラを彼はとてもよく気に入っていました。
後に世界で有名なデザイナーになった後も「クリスチャン・ディオール」はこのヴィラのことを話しており、柔らかなピンクとグレーは彼のクチュールでも最もお気に入りのカラーになったそうです。
パリでの出会い
クリスチャン・ディオールは青年になり、パリで文化的な活動に没頭しました。そこで出会った画家、作家、ミュージシャン、デザイナーたちと友好を深め多くの見聞を広めることになったのです。
「クリスチャン・ディオール」は素晴らしいデザイナーですが、多くの人の関わりを持つことのできる部分も彼の才能だったのかもしれません。
そんな彼にある時大きな転機が訪れます。1928年、クリスチャン・ディオールは、友人の”ジャック・ボンジャン”と共にフランスの首都パリに位置するラ・ボエティ通りにアートギャラリーをオープンしました。
彼らの夢は最も憧れた巨匠たちを中心に据えた展示を行うことでした。
アートギャラリーをオープンした数年後には”ピエール・コル”とパートナーシップを結ぶとカンバセレス通り29番地に新たなギャラリーをオープンしました。
順風満帆に物事が進んでいた「クリスチャン・ディオール」ですが、ここで大きな問題に直面することになります。
デザイナーとして
物事が良い方向に進んでいた彼ですが、1931年母である”マドレーヌ・ディオール”がなくなりました。悲しみに暮れたクリスチャン・ディオールでしたが、追い討ちをかけるように、投資の失敗によって父の事業も破綻しました。
二つの大きな問題に直面した彼は、当分の金銭を工面するために婦人デザイナーとして活動を始めました。ジャン・パトゥ、スキャパレリ、ウォルト、モリヌーなどのクチュールメゾンにデッサンを販売したのです。
クリスチャン・ディオールのデッサンを購入したブランドの中には”バレンシアガ”もいたそうです。
彼は青年時代に多くの芸術を見て関わってきたので、イラストレーターとしても十分に結果を残せました。
そんな頑張りを見ていたパリを拠点とするファッションデザイナー「ロバート・ピゲ」がクリスチャン・ディオールにメゾンデザイナーとして働かないかと声をかけました。婦人デザイナーとしてデッサンしかしてなかった彼にとって大きな転機となったのです。
DIORのはじまり
クチュールメゾンを創設
ピゲの元で多くの技術を学んできた「クリスチャン・ディオール」。その後もパリのファッションデザイナーであった「リュシアン・ルロン」の元でデザイナーとしての腕を磨きました。
ルロンとの出会いはこれからの職業について深く考えることのできた素晴らしい場所であったと語っています。
多くの技術を学んできたクリスチャン・ディオールは実業家のマルセル・ブサックと手を組み、自身のクチュールメゾンを創設しました。12月16日、3つのアトリエと85人のスタッフを擁するメゾンが、モンテーニュ通り30番地にオープンしたのです。
すぐにファーストコレクションに取り掛かった彼らは、1947年に春夏コレクションを発表しました。ディオールは新作ラインを「コロル」、そして「ユイット」と名付けました。
このデザインは多くの人の心を掴み、なんとニューヨークで創刊した世界最古の女性向けファッション雑誌「Harper’s BAZAAR(ハーパーズ バザー)」の編集長も大絶賛したそうです。
そして同年には、「Parfums Christian Dior」も設立され、クリスチャン・ディオールの幼馴染であった「セルジュ・ヘフトラー=ルイシュ」も事業に参加する事となりました。
そして、1947年の冬にDIOR初の香水、「ミス ディオール」が発売される事となったのです。この「ミス ディオール」の香水は数十年経った現在でもDIORの人気商品として多くの人に愛されているアイテムです。
天才デザイナーの就任
DIORの名を誰もが知るブランドに押し上げた功績を持つのが、1957年にデザイナーとして就任した若き天才「イヴ・サンローラン」です。
お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、「YSL」のロゴでも有名な「Yves Saint Laurent(イヴ・サンローラン)」の創設者です。
この「イヴ・サンローラン」は元々「クリスチャン・ディオール」の弟子でした。サンローランが天才と言われた理由はデザインが素晴らしかっただけではありません。
彼は経営にも優れた手腕を持っており、ディオールブランドの人気を一気に押し上げました。しかし、そんな中DIORが始まって12年後に創設者である「クリスチャン・ディオール」が亡くなりました。
亡くなった後は「イヴ・サンローラン」がディオール社の主任デザイナーになる形でDIORを引っ張って行くことになります。
1958年春夏に、若きサンローランの出世作である「トラペーズ(台形)ライン」を発表しました。
このドレスは1950年代のドレスには見られないウエストが絞られていないデザインになっており、デザイン名の通り”台形ライン”になっています。華やかな色や装飾を無くしたこのドレスは簡易的なドレスとして大きく脚光を浴びることとなりました。
一流ブランドとして開花
レディ・ディオールの誕生
1994年DIORの最高傑作でもある「レディ ディオール」が発表されました。
ボックス型のシルエットと「DIOR」のロゴチャームが特徴のこのバッグは元々「カナージュ・キュイール」という名前で発表されました。フランス語で「籐の編み目の革」を意味するこの名前は、バッグの特徴である格子柄のステッチが入ったキルティング地を指しています。
このバッグは、1995年にパリで開催されたポール・セザンヌ回顧展のオープニングでダイアナ元妃に贈られました。
ダイアナ妃はバッグをとても気に入り、すぐにディオール本店へと向かうと、当時7色展開されていたバッグをすべて購入し公の場にも持ち歩くことが多かったそうです。
その後「カナージュ・キュイール」はダイアナ妃結婚前の愛称「Lady Di(レディ・ディ)」に因んで「レディ ディオール」と改名されました。
現在では、サイズ・カラー・素材を幅広く展開しており女性の憧れのバッグとして人気のあるデザインです。
日本とDIOR
世界でその名を広めるDIORは、日本とも深い関係がありました。DIORは、日本の終戦から10年も経たない1953年に日本の東京會舘で本格的なコレクションを披露していました。
その翌年には、京都京都の老舗【龍村美術織物】の生地を使い日本の美しさをテーマにしたデザインを世界に発表したのです。
日仏の友好の証であるそのうちの1点を、ディオールは高松宮妃喜久子(日本の皇族)に贈りました。このドレスをDIOR本社に受け取りに行った際、彼女は皇太子妃が着用するドレスを3着オーダーしました。
オートクチュールは「クリスチャン・ディオール」本人がデザインを担当し様々なアイデアをスケッチしたのです。しかし、2年後の1957年にクリスチャン・ディオールはドレスを作り終える前に亡くなってしまいました。
描きかけのデザインを引き継いだのは、ディオール社の主任デザイナーに任命されたイヴ・サン=ローランです。クリスチャン・ディオールが描きかけだったデザインに基づき、皇太子妃のドレスを創り上げました。
龍村美術織物による渾身の作品【鳳凰と龍】の姿が織り込まれた生地(シルクタフタ)を使い、日本の着物を連想させるようなVネックのデザインとなっています。
このウエディングドレスの美しさに国内にとどまらず世界が注目しました。
このウェディングドレスから、数年後DIORの日本一号店となる「表参道店」をオープンしました。現在でも営業続けている店舗であり、ディオールのフラッグシップストア(旗艦店)として知られています。
1階【アクセサリーやジュエリー】2階【ウィメンズウェアとシューズ】3階【メンズウェア】地下階【コスメやフレグランス】に分かれています。限定品のアイテムやコラボレーションアイテムなど様々な商品があり、毎日多くのお客様が訪れている店舗になります。
まとめ
世代を超えて愛されている「DIOR」近年ではヴィンテージブームの再来によってDIORが再注目されています。新品のバッグやデザインの方が人気があるから、とクローゼットに眠ってしまっているDIORはありませんか?
買取おりづるでは、ヴィンテージDIORの買取を強化しております。
近年では「トロッター」の人気が急上昇するなど、昔購入したバッグなどのアイテムの価値が上昇しています。傷や汚れなどがある場合でも、まずはお気軽にご相談ください。
買取おりづるでは、DIORの高価買取をお約束します。バッグ以外にもお財布・時計・その他アイテムも大歓迎です。付属品がある場合はご一緒にお持ち込み頂くことで買取価格がUPする場合もあります。こちらも是非ご一緒にお持ち込みください。