シャネルの歴史[前半]

シャネルの歴史[前半]

ラグジュアリーなイメージのCHANELは、現代でも多くの女性が憧れるハイブランドです。日本でもバッグやコスメ、時計など様々な商品が人気になっています。このCHANELのコンセプトは「古い価値観にとらわれない自由で自立した女性像」です。CHANELがなければ今の世はなかったのではないかと言われるほど影響力のあったブランドです。今回はそんなCHANELの歴史についてお話しをしていきたいと思います。

シャネルの歴史

シャネルの歴史

苦難の日々

CHANELの創設者である、「ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chasnel)」は、スイスとの国境に近いフランスのジュラ地方アンシェイ村でフランスの貧困者を支援する慈善病院で生まれました。

出生後名前の届けを出す予定が、母親であるジャンヌは届出に立ち会うことができず、両親不在のもと、代理人の手で行われました。しかし、事務的な手違いによって「Chanel」が「Chasnel」になってしまったのでした。

後々自分が出すブランド名は「CHANEL」になっており「s」が間違いだったことが分かりますね。さて、ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chasnel)と名付けられたこの少女が生まれた家庭は決して裕福な生活を送れるほどではありませんでした。

「一部屋だけの住居にすし詰めで」両親と二男三女で暮らしていたそうです。裕福ではないものの幸せに暮らしていたところ、12歳で母ジャンヌが亡くなります。父アルベールは息子2人を農場労働者として送り出し、娘3人は聖母マリア聖心会が運営する孤児院に預けられました。

孤児院での生活は、厳格な規律が課せられる厳しく質素なものでしたが、ここで裁縫を学んだことは彼女の後の仕事につながる経験でした。12歳から18歳になるまで学んだ裁縫技術を持ちシャネルは孤児院を出ることになったのです。

舞台への夢

孤児院で6年間裁縫を学んだ後、シャネルはある仕立て屋で職を見つけました。しかし仕立て屋だけでは生計を立てることが出来ない為、副業として騎兵将校の溜まり場となっていたキャバレーで歌を歌うことにしました。

そこではスターたちが舞台で入れ替わる幕間の場を繋ぐパフォーマーとして活躍しましたが、スターのように給料は出ないのでテーブルを周りチップを貰い生活費にしたのです。

少しづつ人気が出てきたシャネルは、お客さんに「ココ(Coco)」と呼ばれるようになりました。これがデザイナーとしての「ココ・シャネル」の名前の由来と言われています。この「ココ」というあだ名は彼女がよく歌っていた「ココを見たのは誰?」の歌からきていると噂がありますが、真実は明らかになっていません。

売れっ子になってきた、シャネルは本格的な舞台の上で活躍することを目指すようになりました。23歳シャネルは本格的に芸能活動を始めるために、舞台やコンサートホールのあるヴィシーに引っ越しましたが、田舎から出てきた彼女を暖かく迎える場所はありませんでした。

シャネルは夢を追い続けましたが、貸衣装やレッスン代がどんどん膨らんでいくと共に、自分にはこの道は向いていないんじゃないのか、とそんな気持ちも膨らんでいくばかりでした。

その道を諦め、シャネルがデザイナーの道を進み始めたのは、そこから4年後のことでした。

乗馬との出会い

乗馬との出会い

舞台の道を諦めたシャネルは、ある男性と出逢います。「エティエンヌ・バルサン」その男性は、莫大な遺産と派手好きなことから多くの社交会や遊びに明け暮れていました。

バルサンの富によってシャネルは今までにない自堕落な生活にのめり込んでしまうのでした。ダイヤモンド、ドレス、そして真珠どれも一級品のものをシャネルは身につけ言葉通りの「豊かな生活」だったのです。

シャネルは社交会には出ないものの、競馬狂いであったバルサンの下でシャネルは乗馬を学び、馬に深い興味を持ちました。この経験が後のブランド「CHANEL」に大きな影響を与えるとは本人も考えもしませんでした。

この時代フランスでは、女性の衣装はまだドレスが主流でした。まるでマリーアントワネットのようなリボンやフリル、長いスカートの中にはスカートを広げるパニエやペチコート。さらには、つばが広い帽子と装飾豊かでボリュームのあるものが流行していました。

しかし、この衣装は一人で歩けるようなものでは無かった為、男性の補助が必要でした。まるで自由がないように思えますが、着飾った姿は富を象徴するものであったので女性はこの不自由な姿をまるで気にしていなかったのです。

しかし、その風習に全くもって無関心あるいは無頓着であったシャネルは、仕立て屋に自分の体形に合わせて男性の様なズボンを作るように依頼したのです。この時代、女性は足首や足を晒すことは恥といった時代でしたので、足のシルエットがはっきりと出るズボンは女性の着る衣装ではありませんでした。

何故、シャネルはズボンを仕立て屋に依頼したかというと、それは乗馬する際に長いスカートのままだと上手く乗ることが出来ないから、といった理由でした。もちろんこの時代でも女性が乗馬をすることはありましたが、長いスカートのまま乗馬をするには足を見せないように、男性の手を借りながら馬に乗るようにしていたので、これがシャネルからしたらめんどくさかったのかもしれません。

当時のシャネルを知る人によると「彼女は自分がいかに過激なことを言っているのか気づいていなかったに違いない」と言われてしまうほどでした。

デザイナーとしてのココ・シャネル

デザイナーとしてのココ・シャネル

帽子屋:シャネル・モード

バルサンとの生活の中で、シャネルは暇潰しに家に出入りする女性たちのために帽子をデザインを始めました。当時装飾が多い帽子とは打って変わってシンプルなデザインは多くの女性の心を掴みました。

しかし、シャネルにとってこの帽子のデザインを提案することは、あくまで暇潰しであり、女性たちとの会話のきっかけになる手段の一つでした。

シャネルは、この生活を続けながら昔諦めた夢にもう一度踏み込もうと考えていたところ、バルサンの友人であったボーイ・カペルと出会うのでした。シャネルはこの男性のことを「彼こそ私が愛したただ一人の男」と語っていたそうです。

カペルとの出会いはシャネルにとって人生の分岐点とも言えるでしょう。カペルはシャネルのデザイナーとしての力を見抜いていたのです。成功するか分からない芸能の道よりも、帽子デザイナーとしての道を進めるとシャネルは説得を受け承諾しました。

こうして、1910年パリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」という帽子店をオープンしました。カペルはこの出店費用を提供するだけではなく、長い間シャネルと関係を持ちシャネルに大きな影響を与えたと言われています。

無事開店することのできた、シャネル・モードの帽子店は急速に人気を集めました。当時では、考えもつかなかったデザインと伝統に固執しないシャネルの新しい帽子は当時の女性たちの間で新鮮で斬新と捉えられたのでした。

さらに、シャネル・モードはパリの一等地に位置していた為、多くの上級階級の女性や女優、アーティストが訪れることになりました。彼女たちが、公の場でシャネル・モードの帽子を身につけることによって、さらにブランドの知名度を上げることになりました。

デザイナーとしての道

デザイナーとしての道

今までにないデザインで多くのファンを集めてきた、帽子店「シャネル・モード」。この成功を収めたシャネルは、1913年カペルの資金提供でドーヴィルにブティックを開業しました。

そこでは、レジャーやスポーツに適した豪華でカジュアルな服装を作り始めました。シャネルがまず目につけたのがジャージー素材(糸を編んで作られるポリエステル性の生地)です。

当時、ジャージー素材は主に男性用下着に使用されていた為、服として使われることはありませんでした。しかし、このジャージー素材は全ての方向に伸縮性があり柔らかさが特徴であるためレジャーやスポーツで使われるには性能性抜群のものだったのです。

さらにこのジャージー素材の特性を活かし、女性の体にフィットするようなドレスを生み出しました。これがジャージードレスの誕生です。

シャネルがバルサンと生活を共にする中で見てきた多くの女性はウエストを限界までに絞ったコルセットと窮屈なドレスを身に纏っていました。しかし、シャネルが生み出したジャージードレスは、窮屈なコルセットを払拭し女性の体にフィットするような動きやすいドレスでした。

これによって女性の社会進出の手助けとなり、ファッションだけではなく今までの伝統さえも変えることになったのです。

ここまで、順風満帆にきたシャネルですがこの数年後に悲しい事件が起こります。シャネルにデザイナーとしての道を進め、手助けしてくれたカペルが1919年12月22日、交通事故で死亡したのです。

その死についてシャネルは「彼の死はわたしにとって恐るべき打撃だった。わたしはカペルを失うことですべてを失った。」と述懐したそうです。

まとめ

CHANELの歴史は長く多くの女性に愛されてきたことが分かりますね。今回CHANELの歴史についてお話ししてきました。皆さんに少しでもCHANELの素晴らしさが伝わると嬉しいです。現在でも多くの女性を虜にしているラグジュアリーブランドのシャネルは多くの女性にとって憧れのブランドでもあります。

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